旅のしおり
プロフィール

Author:シュンちゃん
還暦。思えば遠くに来たもんだ。人の命はいつか必ず果てる。生きる軸足である山のほか、本にしおり挟むよに、趣くまま時折生きし証ここにつづる。齢ゆく者のボケ防止備忘録ブログです。適当におつきあいください。
   since 2008(H20) 8.28 



リンク

このブログをリンクに追加する



カレンダー

10 | 2011/11 | 12
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -



カテゴリ



最新記事



月別アーカイブ



退院から一週間 ・・・2011.11.30(水)

事故からひと月半、南砺市民病院での36日間の入院生活から黒部の自宅に帰り一週間、が経ちました。 退院後は、全館暖房仕様じゃない自宅の寒さ(寒暖の差)と、バリアフリー化などなんのそのな段差の多さに、あれーこりゃ~病院の方が早よ脚も良くなるなーでしたし、また、体調心模様日によって浮き沈みありますが、ようやく自宅ベースな生活に慣れてきました。

そして今は、山友であり整形外科医であるたまちゃん先生の所に通いリハビリに努めています。 来週からは、市民プールでの歩行リハビリも開始しようと思います。 寒向の頃 水の中へかぁ ・・・
静岡の山友にスイムタオルいただいてるし海パンも用意したので、できるだけ続けようと思います。




姉妹とお茶・・・2011.11.26(土)

妹の家の納屋-111126

 妹の家の納屋2-111126  妹の家の納屋3-111126  妹の家の納屋4-111126

昨日の話しですが、同じ市内に嫁いでいる年子の妹が家の横に納屋を作ったからお茶でもせんかと、隣町に住む姉ちゃん・・・この場合の「姉ちゃん」とは不特定に俗に言う “姉ちゃん” ではなく 姉 (笑) ・・・ から電話があり家まで迎えに来てもらい出かけました。 この建物姉妹の共同出資らしい。 そして、ケガで好きな事できない僕の気分転換になればと、つき合ってくれたのでしょう。 姉僕妹でお茶なんていつ以来だっただろう? 記憶にない位、ない。 もうずっと、山ばっか行ってたもんね。

で、行ってみると、ありゃなかなかしゃれとるやん。 納屋と言うより、畑仕事の合間の一服に、また仲良し集まりお茶ししゃべんまいけ、という目的・大なものでした。 姉妹はせっせと畑仕事もしていました。 僕はと言えば、姉ちゃんちの小太郎くんと遊びながら日光浴を楽しみました。 暖かな午後のひとときでした。 こういう過ごし方もたまにはいいか。。。というかしばらくはこういう過ごし方が増えるんだろうなぁ。 ともあれ、姉ちゃんに妹、さんきゅう。 

          小太郎-111126   小太郎2-111126
                 僕も入りたいなぁ                 小太郎



山友はすばらしきかな

タイヤマンのおやじさんご夫妻

今入院に際しては多くの方にご心配いただいたわけですが、その中のお一人に、タイヤマンのおやじさんがおられます。 彼とは、山関係のネットで知り合った様に記憶していますが、同い年と言う事で、生きてきた時代背景同じならすなわち共通項多く、話しても相槌打つ事多い訳ですぐに親しみがわきました。 山スキーを始められたと言うことで今年1月に赤禿山を、6月には静寂の朝日岳をご一緒しています。 多忙な中、仕事を終えてからで疲れておられたでしょうに。 奥様共々本当にありがとうございました。 とてもうれしかったです。 これからも宜しくお願い致します。

さて、山では、一度っきりの同行でも終生の友となることがあります。 辛い思いを共有し、助け合い山頂に至り、喜び分かち合う。 で、登ったものは下りなきゃいけない。 事故・不測の事態多き下山。 何事もなければスイスイと、何かあれば知恵・力・技術出し合い助け合いながら下る。 無事下山すれば、後々同行した者にしか分からない共通の思い出ってやつができる。 その中にはエンドレス的に語り継がれる・・・酒の肴になるとも言う ^^; ・・・ものもある。 そして、登山は時間や数字での優劣、勝ち負けを争うものではない。 そんなところも「山」という世界の魅力であろう。 や~山友っていうのもすばらしい。



退院しました・・・2011(H23).11.23(水)勤労感謝の日


                            
今日退院し黒部の自宅に帰りました。

今入院に際しましては、多忙にもかかわらずまた遠方より沢山お見舞いに来ていただきました。 携帯電話に励ましのメールや電話をいただきました。 病院に手紙やはがきをいただきました。 そして日記に心温まるコメントもいただきました。 ことば足らずで無愛想な事失礼な事もあったかと思いますが、五十路のおやぢは、とてもうれしく、勇気づけられ、がんばろうという気になりました。 親戚、同級生、友人に知人、山岳関係者、老若男女各位の友情、お気持ちには改めてウルルンともきました。 みなさん本当にありがとうございました。

大きなひと区切り。 生きてるってすばらしい。

今宵の歌は吉田拓郎。 自分で持ってって聴いた多くの好きな歌の中で、拓郎の歌が一番心に沁みました。 床上でどん底ん時の僕の心に彼の歌声はずっしり届きました。 彼の歌声には、強いものと弱いもの、両方の、腹の底からの叫びがある様に思いました。 魂の叫びを感じました。 拓郎ありがとう。 歳は違うが誕生日が同じな拓郎、青春の憧れよ永久にです。 元気な姿をもう一度、というかまだまだ彼が80過ぎるまで見てみたい。




回復期リハビリ病棟での2週間(11/7-11/23)・・・2011.11.22(火)記す。

寝たきりから車椅子、そして歩行器歩行までになり、じっとしてればほとんど痛み感じなくなったので、回復期病棟へゆけばリハビリがたくさんできると考え、希望出し移る事叶いました。 一日の生活リズムは一変。 ほぼ自立した生活なのでナースコール鳴らすこと一度もなかったですし、それはまた言い換えれば特筆すべき事も少ないってこと。 単調と言えば単調だが、後々の為に慌てずコツコツしっかりリハビリ進めなければいけないと言うのが日々の課題でした。

11/7(月)入院20日目
     ・午後一、急性期病棟から回復期リハビリ病棟に移る。
     ・回復期でのリハビリ開始(T田mみ理学療法士)
     ・急性期の時には付けられていなかった、氏名等書かれたリストバンドを来てすぐに
      付けられたが、夕食の際ふとそれに目が行った時、「自分では外せない」と言う、
      強い精神的ストレスがかかりパニックに陥った。急激に脂汗ダ~ラダラ。
      すぐさまスタッフルームへ。ハサミで切ってもらい、以降携帯で許された。

11/8(火)入院21日目
     ・朝食後T栄養士が来られ、昼の食事から一日1,500Kcalにしますと言われた。
      「生野菜ボール一杯でもいいから、カロリー減らしても満腹感満たしてほしい」と切望。
      で、ご飯を30g減らし150gにし、その分おかずを一皿(野菜)増やことになりました。
      噛む回数増やし意識して時間かけて食事をとる事で、満腹中枢を刺激せよ、とも。
      やってみると、あらら、不思議に空腹感は小さくなっていった(^^)
     ・今日からリハビリ基本午前午後の2回になる。 がんばんべー
     ・初めて、杖歩行する。(純粋な歩行器歩行は3日間だった)
     ・初めて、トレーニングマシン3種行なう・・開脚は痛くて翌日からやらず。

11/9(水)入院22日目
     ・初めて、家庭風呂入浴訓練を行う。(一部要介護で)
      ※翌日以降、一人で入浴許される。

11/12(土)入院25日目
     ・在庫はまだあるが、いつまでもみなしごハッチのよに腰まわりまん丸に膨らませて
      いてもカッコ悪いと思い、普通のパンツ(下着)にした。
      ↑やっと、見かけを気にするだけの余裕が出てきたとも言える。
     ・初めて、二足自立歩行となる。(杖歩行は4日間だった)

11/17(木)入院30日目
     ・午前中、事故現場に現場検証の為、南砺警察署の方と出かける。
     ・横でリハビリしてる青年(23才)も偶然の一致、利賀でのバイク事故とのこと。
      で、「どんな場面でもバイクの性能、自分の運転技術を過信するな」と、やはり
      バイクに乗ってる息子にメールした。 まぁジコってる自分が言っても説得力ないか、
      と思ったが、子供のこと心配でしょうがない。

11/18(金)入院31日目
     ・所用にて10-17時外出。 saraにも会った。 久しぶりの再会でうれしかった。
     ・ひと月も病院暮らしが続くと、外出は嬉しいものの予想以上に体に負担かかる。
      疲れ出て、夕食後7時前に寝入ってしまった。 退院してもしばらくは、出歩くのは
      半日程度にし、体調みながら徐々に社会復帰しなければと思った。

11/20(日)入院33日目
     ・言われてる通り、リハビリはやり過ぎると翌日以降回復ストップと言うか、後退。
      普段日中はベッドにほとんどいない自分が昨日土曜日はゆっくり休んだ。 その効果
      あってか、今日は骨の痛みも少なく、そして歩行姿勢も良いようにガラスに映った。
     ・夜9時から楽しみにしているテレビ「南極大陸」の日だったのに、日本シリーズ最終戦
      なかなか終わらず10時15分から入った。 睡魔との戦いだったわけ

11/21(月)入院34日目
     ・意識しないと、午後特に夕刻以降ぎこちない歩き方になるのだが、リハビリで
      マッサージしてもらい、タテヨコの基本動作後は、形良くスムーズに歩ける。
     ・リハで開脚マシン再度やってみる。 ありゃ、ただ横に開くなら痛ないにか(^o^)丿
      正座も難なくクリア。。。ただ、あぐらが開脚(>_<)が痛くて全くできなかった。

11/22(火)入院35日目
     ・通販生活ならぬ病院生活最終日。
     ・気持ち逸るものの、いつも通りのメニューこなす。
      時速5km程度で歩くと、240mまではきれいに歩けたが、それ以降はバランスくずれた。
      たったそんだけで~だが、これが今の実力。筋力不足痛感。 焦らず気長に行こう。
     ・退院後の栄養指導、カンファレンス
     ・テレビで、今年も冬山警備の為に馬場島に越冬物資が運び込まれたと伝えていた。
      病院に顔見せてくれたT也にK隊員の顔、今年も映っていた。あーもう冬になるんだなぁ。

11/23(水)入院36日目、勤労感謝の日
     ・退院予定

※ 記録はあくまで私の記憶からですので、やや曖昧かもです。


回復期リハビリ病棟においての一日は、なんつってもリハビリが中心。 理学療法士の先生方は、患者さんの身体機能回復の為におられる訳ですが、やはりそこは人と人。 ここはコミュニケーションを大切にされてると言うのがとても好印象でした。 病は気からじゃないですが、二人三脚的要素強いリハビリです。 雰囲気良ければ回復も早いものです。 担当T田mみ理学療法士には、若いのに僕のつまらん四方山おやぢ話しにいやな顔もせず毎日おつき合いいただき世話になりました。ありがとうございました。

そして、おっと~、居心地良すぎて忘れそうになったが、忘れてならないのがここはやはり病院てこと。 24時間看守って下さった多くの看護師さん介護福祉士さんほかスタッフ。 ここにいれば“安全・安心” が昼夜を問わず保証されている。 暖かい院内で、待ってりゃ三食ちゃんと黙ってても出てくる。 具合悪いと言やぁ専門医にすぐに診てもらえる。 なんと恵まれた環境なんだろう。 世話になりました、ありがとうございました。 

世話になった、理学療法士のT田mみ先生に急性期に世話かけたF松先生、マラソンと山のアスリートT中先生、いつも明るく接していただいたA野担当看護師、幾度も楽しく山話しさせていただいた薬剤科T田さんに、熱心に相談にのってくださったT栄養士、そして今年剣岳早月尾根日帰り山行の際、山頂でヤマケイ(岳人だったかな?)のカメラマンに写真撮られ、来夏載るかもと話しておられた元気印な山ガールM村介護福祉士、ほか世話かけた沢山の山好きスキー好きなスタッフのみなさん、来春以降になりますが、立山でも剣岳でも良し、人形山にほか低山でも良し、機会があれば山をスキーをご一緒したく思います。 ぜひ声をかけてやってくださいね。




さて、日帰りで出かけたつもりの今回の南砺・利賀の旅は、こうして明日ようやく終わろうとしている。 痛いめに遭ったが、山とスキーとバイクを想う僕の気持ちに今もブレはない。 そして、ひと月以上に及ぶ長い旅になったが、多くの事を学び、多くの人々と出会えた。 あー人生ってやっぱ泣き笑い。 生きて還れたし、結果論だが、これもいい旅だった。 ・・・さぁ、そろそろシャバに戻ろう。





病棟掲示板にある詩

今日の南砺は、ブリ起こし鳴るとても寒い朝でした。
毎日過ごす病棟の掲示板には、
患者さんや患者さんのご家族による作品が掲示されてます。
その中から、詩を二つ紹介します。

 
 母ちゃん 
 あなたの子に生まれて
 本当に幸せです

 今この年になっても
 気にかけてもらってますね
 ありがとうございます

 何の親孝行もできず
 顔見に行くことだけしかできなくて


 
     がんばってきたから 今がある
     そんなにさみしい顔するなよ
     それだけ いっしょうけんめいに
     生きてきたあかしだよ

     これからは これからは 笑顔でいこうよ




実体験からの作品にはどれも本物の説得力と深さがあります。 
僕に この世に両親はもういないが 目頭が熱くなりました、
かあちゃんって 心の中に生きつづけるんだよなぁ いつまでも。。。
そして、
物事をまっすぐに見 心笑顔で生きて行こうという気持ちになりました。




今年11月の立山

昨日だかテレビのニュースで、立山は雪が少なくて、山小屋ではスキー客のキャンセルが相次いでいると言っていた。 病院暮らしで僕のカレンダーは10/19で止まっていたが、そういやぁもう11月も2/3過ぎようとしてるんですね。 室堂界隈の山小屋は小閉まい目前だし、アルペンルートももうあと10日で終わっちまう。 そう言えば、去年僕は11月に4度立山に滑りに行ったのですが、この後も天気予報悪いですから、山にはいろんな楽しみ方があるにしても、今年の11月は山スキーヤーにとっちゃ我慢の年の様です。 これだけはどうしようもありませんね。 まぁいずれにしても滑れない僕としては、心、大いに平常心なのですが(失敬)。



急性期病棟での3週間(10/19-11/7)・・・2011.11.17(木)記す。

今日は午前中事故現場に現場検証に警察官の方とゆきました。 ほぼ一ヶ月振りに外の空気吸った。街の様子に、柔らかく紅葉した山肌も見た。 それはとても嬉しかったのだが、156号線から471?号線進み、右にダム湖見下ろしながら利賀に近づくにつれ、頭が締めつけられるような軽い恐怖感に襲われました。 現場目の当たりにした時は、その昔映画ETで月に自転車に乗ったETが映し出された様に、バイクで空に飛び出した事故の事思い出し、強い恐怖感に襲われました。 切れ落ちた林道見てるだけで気持ちのいいもんじゃありませんでした。 今回の事がトラウマとなって、林道・崖っぷち恐怖症、高所恐怖症になってゆくのでしょうか。。。

さて、今回は病院に運び込まれ急性期病棟で過ごした3週間を描き留めておきます。

救急に運ばれ、問診・レントゲン・CT終え、病室へ。 何やら体に一杯付けられマナ板の鯉ならぬ “床上のトド”いっちょ上がり。 検査の痛みには耐えたが、イングリッドがやって来た時、こらえてたものがどっと噴出。 パニック症候群で閉所恐怖症な自分。 自力で何処にも行けないどころか、天井と室内の一部そして小さな空のみを見つめ身動きが全くきかない現実。 その、じっと固定されてるという事が、気が狂うほど受け入れ難かった。 つらかった。 泣いて声出して訴えた。 訴えた処でどうにもならない事はもう一人の自分がちゃんと分かっているのに。 ・・・その夜3度目が覚めたものの、記念すべき入院一泊めの夜は明けた。 そして、左腰から下ピタリとも動かず左肋骨に痛み走る寝たきりという中、7時半朝食、体拭き、リハビリ、正午昼食、6時夕食という規則正しい床上入院生活が始まった。 ホントの寝たきりは12日間でした。

10/20(木)入院2日目
      ・床上リハビリ開始(F松理学療法士)
       ・・・「はい、力抜いて~」と言われたが、触られると骨盤骨折部に力が入り、
          曲げに入ると、泣くほど痛かった。そんな事が一週間程も続いただろうか・・・
          病状判断し的確な療法を施されてたでしょうに、先生すみませんでした。
          
10/21(金)入院3日目
      ・41時間の絶飲食解かれ、初めて口から食事採る。      

10/22(土)入院4日目
      ・初めてウンチが出た・・・布団の中オムツの中に少量。勇気がいった。
      ・22回目の結婚記念日・・・こんな事んなりすまんと思った。
       ・・・場末の居酒屋で一杯飲りながら二人で食事のはずだったのに。

10/25(火)入院7日目
      ・初めての洗髪  ・初めて、出た食事完食(昼食)

10/27(木)入院9日目
      ・初めて朝食前の一杯の熱いお茶が美味しいと思った。
      ・初めての入浴・・・シャワー浴

10/28(金)入院10日目
      ・初めて左足が布団の中で、自力で少しだけだが曲がった。 やったぜ(^o^)丿

10/29(土)入院11日目
      ・事故翌日に来てった息子が、オムツを持ってまた来院。
       おてまに昼飯代1,000円せびられた。でも嬉しいのが親。       

10/31(月)入院13日目
      ・心のおき場気持ちのやり場ようやく見つけられ、心身共に安定してきた。
      ・病院まで運んでいただいた福光のM崎さんに事故後初めてお礼の電話をかけた。
      ・午後より、初めて車椅子となった。
      ・院内パソコンでネットに初めてアクセス
      ・初めて、車椅子用トイレに行く(半見守り状態だが)
      ・初めての車椅子は嬉しかったがとても疲れた。

11/2(水)入院15日目
      ・尿の管外される。

11/3(木)入院16日目 
      ・パンツ型オムツにする。
       普通のパンツでも良かったが在庫がまだまだあったのと安心の為に。

11/4(金)入院17日目
      ・初めて、床上で左脚上にし横になることが出来た。
      ・初めて、何名かの方に今回の事故の事を連絡した。

11/5(土)入院18日目
      ・歩行器自立歩行にトライ開始(車椅子生活は5日間だった)。

11/7(月)入院20日目
      ・午後一、急性期病棟から回復期リハビリ病棟に移る。


救急に運び込まれどん底にある時過ごした急性期病棟。 54年間生きて来て僕の人生において馴染みの無かった病院生活という世界。 そんな僕は、痛みに耐えれず大声出しわめき散らす、全く大人で子供な患者でした。 皆さんを困らせすみませんでした。 取分け、ナースコール一本で、不規則で昼夜問わずなオムツ替え(多い時は日に3度)に、病衣・靴下を脱がせてもらったり着せてもらったり履かせてもらったり、足が痒いと言えば足を、背中が痒いと言えば背中をかいてもらい、ベッドの下に物が落ちれば拾ってもらい、カーテンの開け閉めに部屋の電気は灯けてもらい消してもらい、三度の歯磨きの水も汲んでもらいまた捨ててもらい歯ブラシの洗浄も。 そして手間のかかる入浴。 などなど、他にも細々した日常の、もう何から何まで世話になった看護師さんに助手さんたち。 彼女・彼たちの、クールに看護する姿、その使命感すばらしかったです。 正確な診断と治療方針を要求されるドクターはもちろん、人それぞれに役割がありどの方の役割を欠いても医療現場は成り立たないと思いますが、今日の僕があるのは、日々24時間直に接して下さった看護師さん方に助手さん方、そして入院翌日から初期リハビリをしてくださったF松理学療法士のお力があったからこそと今思います。 本当にありがとうございました。




事故後から病院に運ばれるまで・・・2011.11.14(月)記す。

事故発生後から病院に運び込まれるまでを備忘録として書き留めておきます。

2011(H23)年 10/19(水)
13:35 事故発生

13:55 沢から林道に這い上がる
   周囲見渡しひと息入れ現場写真何枚か撮る
   携帯(ソフトバンク)圏外、電波無く、程なく移動開始。

14:15 携帯、弱いながら電波ある地点まで移動完了・・・距離で300m位
   110番と保険会社へ事故報告一報(レッカー手配)
   ※遠いのと場所の特定がすぐに出来ないとの事でいずれも2時間程かかると言われた。
    ふと気がつくと、携帯持つ手・腕に、自覚の無い1,2㌢のはっきりとした震え止まらず。
   ※決まりきったゆっくりでマイペースな保険会社の対応に、少しイラッときた。
    命綱である携帯の電池どんどん減ってくし・・早くレッカー手配せー、と思ったわけ。

   何度か後方の山林から“ザザッザザッ”と物音。身動きできない状態だったので、
   熊だったらどないしょー(>_<)、と思いながら、ただただひたすら待つ。

15:15 ただ待っててもと思い、迎えにすぐ出れないかと、妻(の会社)に電話する
   「今日は忙しいので会社抜けられない」と言われた。
   この時はまだ、黒部市民病院に自分は行くんだ、とぼんやり考えていた。

15:35 事故発生から2時間後初めて林道下の方から白い乗用車がやって来た。神様仏様に見えた。
   立ち上がれなかったので手を振ると、止まってくれた。かいつまんで状況話すと、
   「乗って」と言われたが、自力では乗れず、手を借り、5分程掛けて助手席に乗った。
   (乗らなきゃ助からないという思いで、声にならない絶叫上げながら)

15:50 現場離れるには警察の立会い済ませてからと言われていたが、
   早く病院で治療すべきだと思い、利賀の駐在から来てくれと南砺警察署にもう一度電話。
   10分しない内に警察官が到着、・・・なんだ、すっげー早いにか(-.-) 
   最初からそう頼めば良かったとその時後悔した。
   現場確認し簡単に事情聴取される。 その後、前述通りかかられた方の車で病院に向かう。
   悪寒が走り暖房つけてもらったが、運転席では窓少し開け、必死に汗拭いておられた。
   現場を後にしてから20分位して、上がってくるパトカー、レッカー車とすれ違った。

16:50 南砺市民病院着。
   動かされると激痛。悲鳴あげながら車からストレッチャーに移され救急処置室へ入る。
   「着衣(Tシャツ、ズボン)切ってもいい?」と言われたが、高価ではないものの、思い入れ
   のある物だったので、「切らずに脱がせて」と言ってはみたものの、痛みこの上なしだった。


※ sara(バイク・セロー)は依頼したレッカー車で事故当日に引き上げられ、その後、お世話になってるショップオーナー叶井氏により移動していただき、富山市内のYSP富山東さんに入院となる。


こうして、50余年生きてきた僕の人生の中で、初めての未知の病院暮らしが始まった。



当日事故直後まで・・・2011.11.11(金) 記す。

今日は先日の事故発生直後までを書き留めておこうと思います。

2011.10.19(水)天候 さわやかな秋晴れ

13:00 利賀そばの郷で新蕎麦を食べ終える。
13:15 利賀 瞑想の郷 着 ・・・休館日だった。
   窓に顔つけ中の曼荼羅画を見て、食後のコーヒー飲む。
13:30 瞑想の郷 発 ・・・アスファルトの林道を更に上へsara走らせる。

13:35 事故発生
saraと共に登り進むと、林道は90度左にカーブし、左下に沢が見えていた。 カーブ曲がった所で道はアスファルトからガタガタ道になった。 初めての道なのでこの先へ進んでも、と思い引き返すことに。 無意識的にアクセルターンしたが、思うようにバイクケツ振らず、右側の沢の真上に、saraと共に飛び出し空を飛んだ。 後は、パチンコ玉がてっぺんからクギの間を「されるがまま」に自らを主張することなく弾けて落ちてゆく様に、ただただなされるままに不規則に岩にぶつかりながら滝壷まで落ちていった。 垂直高低差は、5,6m。 滝壷はひざ下までの水かさだった。 大きさは四畳半位。 一通り周囲見回し立ち上がり、1m横で後部を滝に打たれてるsaraを5回程起こそうとしたが起こせず・・・起こした処で引き上げられないのに、ペットのごとき相棒であるバイクが滝に打たれ、可哀相でかわいく愛おしかった。 そして、めったに人の来ない利賀の山中なので、このまま沢の中にいて体が冷え固まってきて動けなくなったらヤバイと思い、荷物ザックにまとめ背負い、落ちた濡れた岩肌は直には上がれそうになかったので、草つき枝付きルートを遠回りし林道に、激痛走ったが這い上がった。 時刻は13:55だった。 



近況報告 ・・・2011.11.8(火) 自らの備忘録としても記す。

ここのとこブログも更新せずでしたので近況報告です。

実は先月10/19(水)に交通事故(バイク・自損)やっちまいました。 現在も入院中です。 で、最近気づくと、病院内オープンスペースにパソコンが配置されネット環境あり。 時間制限あるものの、ある程度自由に使えるのでこれ院内PCから書いてます。 怪我は診断書によると、左骨盤骨折、左第6肋骨骨折、左第12肋骨骨折、左第2腰椎横突起骨折。

めったに車の通らない山中での単独事故。 sara残し沢から這い上がり事故発生から2時間後、奇跡的に通りかかられた方の車に乗せていただく事ができ、救急に搬送されて以来、小は尿道に管通され、大はナースに丸々24時間お世話いただきながらの “まな板の上の鯉”状態で過ごした急性期治療(寝たきり)の2週間。 肉体的にも精神的にもとても人様にお知らせできる状態ではありませんでした。 特に最初の3日間の床上は今思うと生き地獄のごときでした(自業自得)。 黙ってわがまま聞いてクールに献身的に看護・お世話くださったスタッフの皆さんには今心より頭が下がります。 

そして、ブログの更新が滞っていた事が一番でしょう、事故から一週間経過した頃から携帯電話に「どうしてるの?」との問い合わせが何件も入り始め、もうろうとしながらも困惑の日々でした(・・・自宅のパソコンにいただいてるものもあると思うのですが残念ながら今も見れません)。 天井しか見えず、僅か5ミリ動かすだけで激痛走り、両手伸ばして届く範囲の事しか出来ない、体起こす事も自分でコップの水飲むこともできない、何一つ自分でできない、上見上げてるだけの24時間完全介護状態の日々から、徐々に命の光強くなってきたこと感じ始め、先週に入りようやく心のおき場・やり場を見つける事ができ、現在は回復期リハビリ病棟に移り心身共に安定し、リハビリを開始するまでになりました。 携帯へアクセスのあった方々へは先週後半から状況を少しづつお話ししました。 

事故の日から数えて今日でちょうど3週間。 打ち所悪ければ最悪の事態も想定できた今回の事故。 今は、三途の川の前でUターン、運良く一命取り留められた事にただただ感謝しています。 それにしても、第2(3?)の青春謳歌の代償は大きかった(>_<) イングリッドや家族には迷惑をかけている。 人生立ち止まり、文字通り横になり、同じ事リングワンダリングのごとく考えることの多い日々です。 みなさん心配かけごめんなさい。 


※ コメントいただいてもすぐに返事できないかも知れませんがお許しください。