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Author:シュンちゃん
シュンちゃんのブログにようこそ。還暦近し私の人生。いろいろあるけれど、一方通行、リピートできない人生という旅は一度っきり、自分らしく駆け抜けたい、そう思っています(^^♪

若い頃ふれた歌や映画やドラマが好きです。またやがて徘徊老人になった時、嫌われても化けてでもおうちに戻って来れる様にと、風吹く稜線目指し、山を歩くようにもしています。冬はスキー山行が多いですが^^;

また「衣食住」などと云いますが、取分け食べる事って別格! 生きてく上で&健康に切って切り離せない。覚えようとか人より上手くなりたいと云う事からではないのですが、料理も都度やるようにしています(#^.^#) いつ独りになるか分からんし。

その日その時々、思ったこと感じたこと、心に浮かんだ歌や映画やドラマ、そして出かけた山のことなどを、書きたくなった時、気持ちが動いた時に書いています。文章や写真は随時変更したり削除したりもします。なので適当に読み流してください。

       since 2008.8.28 



五代目圓楽さん逝く
  
  
                                      圓楽師匠最後の大喜利

落語家、五代目三遊亭圓楽さんが亡くなった。 関連記事
私は、「落語」というものに造詣なく、また見聞きする習慣も無い。だから落語家としての圓楽さんの、上手さ・魅力、評価・功績というものが、とんと分からない。 が、落語が題材とされるドラマやテレビが面白ければ観るし、また「お笑い」という観点から、たまにブログにちょこっと登場させる様に、笑点の大喜利は昔からなぜか好きです。

私の笑点・大喜利の記憶と言えば、司会は三波伸介、座布団運びは毒蝮三太夫であり松崎真なのだが、まぁ23年間という圓楽さんの司会は長かった。何故大喜利が好きなのか自問自答してみるに、それは、噺家さんたちの喋りって、社会風刺から下ネタまで、下町風情・情緒に庶民感覚、それに何と言ってもそこには「品」というものがあるからだと、今そう思う。

人生という旅、それが
長かろうが、短かろうが、目だったであろうが、地味であっただろうが
そこには、悩みながら泣いて笑って生き抜いた、人ひとりの等身大の生き様がある。 

お疲れ様でした ご冥福をお祈りします。


Saturday Night Fever
  
  
                                '77年 映画 Saturday Night Fever


ここの所、富山はいい天気が続きます。秋晴れというヤツ
そろそろ水仕事は冷たいものの、外仕事は捗るし、風呂場も洗濯物も良く乾きます
で、おてんとさんに負けない元気のいいの、ということで、これだ。

ご存知、サタデー・ナイト・フィーバー、日本では翌 '78(昭和53)年夏に公開された
クラブ やなくて、ディスコと言った時代の話し。もち、リアルタイムで観た。
主題歌は、映画「小さな恋のメロディー(メロディーフェア)」も手掛けた、ビージーズ。
今は死語だがこの映画が創り出した “フィーバーする” ということば長く使ったなーです。

そのトラボルタももう55歳である
今は亡きあのダイアナ妃とホワイトハウスで踊った事があるというからすごい。
今こうして見ると、なんやースローモーションみたいな踊りやにかーとも見える
腰を振り片手を天にかざす、あの振り付けが脳裏から今も離れない
そして、あの妙な腰の振り、当時見てて、こちとら、とても恥ずかしかったものだが
女子の目には、どう映っていたのだろう?? ・・・今も誰にも聞けな~い
そしてそれは、後にマイケルや、日本では、サッカーのカズが真似たんでは?とも思った。

昔「サタデーナイト」今「花金」・・・えっ?それももう古いって・・・ならいつ仕事するがよだが
休みが週末一極集中型から、平日分散型へ大きく移行した時代の移り変わりは否めない。


ともあれもう何年も、こういう妖しく艶めかしい雰囲気の灯りの下には行ったことがない
そして、昔行った事があるとは言え、それは自分の場合
遠い彼方青春の頃、夢は見るものの、寂しくも切ない、そんな思い出と共にある
ただ、歳を重ねた今も、時にはグッと来るよな、そんな熱い時を過ごしたいものである。



柳又谷方面訓練山行
 
  沢を下る-600ta
                       横山乗越を越え沢道を下る(標高835m地点・帰路)

朝日遭対協(朝日岳方面山岳遭難対策協議会)の、1泊2日秋季訓練山行に今回参加させていただいた。所謂民間の山岳救助隊の訓練山行です。訓練場所は北又小屋から柳又谷間。講師として県警山岳警備隊員2名を招き、訓練内容は「救助並びに柳又方面の地形及び登攀ルートの把握」というものでした。

前述の通り2日間に渡る訓練山行です。比較的大きく重い荷を背負い、まずは通い慣れた吊橋を渡りました。で、程なく河原へ下り、北又谷をそのまま黒薙方面に進みます。無風で紅葉も進む秋の穏やかな日ではありましたが、時折膝上までの徒渉。
スタート-1120  徒渉①  徒渉②
                     水のパワーというのもすごい。川底も一定じゃないし
                     ヌルっと滑ったりで、時折持ってかれそうになる

カラ谷乗越下まで来て一服。北又谷とはここでお別れ
後、そのカラ谷乗越、杉谷乗越、そして横山乗越と3つの峠を越えて、
つまり、3回登ったり下りたりして、柳又谷に到る事になります(下記地図参照)
標高差は然程無いのだが、でこぼこ沢道が足に集中力を要求してくる分、長く感じた。

2つの峠を乗り越し進むと、幻の桂の大樹がその全貌を見せてくれた
でかいでかい。。。本当にでかい。宇宙に通じてる様な、そんな感覚を覚えた。
またしばらく行くと、天然極上なめこがドンとありました!(^^)!!(^^)! 食材ゲットであった。
そして、最後の登りを終え谷筋を下がって行く時に、かなり大きいクマとの遭遇もありましたが
幸い難を逃れ、今回の目的地、柳又谷の河原に到着しました。
桂    なめこ    河原
            桂の大樹        天然極上なめこ      河原が見えてきた
                     ぱっと数えても150以上

一息つき、標高こそさほど高くないものの、複雑極まりないと言うか難易度超高いと言いますか、そんな今日歩いたルート、獣道的部分もあった手ごわい地形を振り返りました。そして、野営と食事の準備。これら全てが訓練でしょう。参加された隊員がそれぞれの役割をこなしてゆきます。部外者としてはその「プロ集団」的動きも勉強になりました。そうこうしてる内に、用意されたテント場ではない、人里離れた柳又の奥山は漆黒の闇と静寂そのものに包まれ、底の無い幕の中でシュラフに包まり就寝。


                   柳河原集合写真
                        2日目朝、出立の時

翌朝は青い空。横山乗越へ登り返しから始まります。登山道とは言い難い、獣道的なややこしい部分もあります。また、季節により草木の背丈もかなり違うでしょうから、一度や二度では把握し切れないルートだと思う。そして、3つの峠を越え、北又谷本流へ下り立ち、昼めし。再び、遡行。帰りは途中から小沢を右岸の林道に上がり、草木茂ってるものの、まあまあ歩ける林道を北又小屋まで戻りました。林道ルートはサカサマ谷に回り込んでおりその分川底を行くより距離がある。ようやく北又小屋が遠くに見えてきた(林道から)。見慣れた三角錐な定倉山が見えていた・・・左は裏定倉山。
横山乗越へ-700ta    ややこしい道を行く-500ta    北又の小屋が見えてきた-1120


今回歩いたトラックログ …標高はGPS値より
ログ-1150解説付
この山域は地形がかなり複雑ですのでロストルートし易い上に、クマも多い様です
入られる際は、オールマイティー的な登山技術と知識を要求されますので、十分ご注意下さい。

多くの沢屋の憧れでもあるこの「柳又谷」。自分の山歩きにおいてこの「沢歩き」というのはその指向嗜好ではないのだが、今回はそこのしっぽに到るルートを自分の足で確かめる事ができた。両日6時間弱行動しながらの実践訓練、幕営地でのさまざまな勉強、いい経験をさせていただいた。一般登山者がなかなか分け入る事のできない懐深き朝日の山中をこの訓練を通し五感で感じ取れた事、そして、このご縁に今感謝している。



あーあれから20年
 
  結婚の日-870
                                           結婚の日 1989.10.22


今日は結婚記念日である
人様からみれば「何ぬるいことゆーとらよ~」である
全くです。が、きりのいい20年ですので、平にご容赦、軽く流して下さい。

時は1989年、平成元年
日本では、1月に昭和天皇が崩御され、時代が平成となり
ドイツでは、冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊した年である。
大喪の礼の日(2/24)に「○○さんを僕にください」とご両親に挨拶に上がった
また、仕事の都合で11月に入って新婚旅行(ハワイ)に出かけたが
その旅行先で、松田優作の死を知った。

他にもいろいろあっただろうが、今思うといい時代であった
仕事がちゃんとあり、帰りは毎日遊びほうけていて暮らせた
バブル絶頂期であり、世の中全体が浮かれていた
若者が将来に不安を感じない、そんないい時代だった。

新婚の頃-500ta
新婚の頃、誰かの結婚式にイングリッドが出た時

なんやかやあったが、大きな波風なく、力を合わせて今までやってこれた
単身赴任が長かった自分にとっては、家を守ってくれてありがたかったと、心から思う
キラキラした装飾類は欲しがらないヤツなので、近いうちに食事に誘おうと思う。


あー結婚して20年、諸先輩方からすれば、まだまだですが
こどもらのアルバム見て昔を懐かしむと、どこからともなく涙が出てくる
そんな人生の重み、憂い、わびさびの分かる歳になったということだろうか
そしていつ THE END となるか分からないこの人生という旅
できるだけ仲良く ・・・あたらず触らずが適切か・・・
共に白髪の生えるまで、こうなった以上、添い遂げられれば良いと思います。



PS.ブログ書いてる自分の横で、載せた写真見て、イングリッドが言いました
 「私この人と結婚したがいぜー、あんた今別人やねかー」って
  自分から見たら自分なんだけれど、人から見たら、自分じゃ・・・ないらしい
  つまり、否定はしませんが・・・あなたも変わってます・・・とは言えなかった。



なつかしの山、不連続シリーズ
  
  裏剱紅葉-011007
                               仙人新道より裏剱紅葉 撮影 2001年10/7


8年前の写真。
真っ青な空と雪渓の白、そして真っ紅な紅葉のコントラスト
剱岳の黒い岩肌が、ぐっと写真の雰囲気をシメてくれていた
きつい登りで疲れた体を、ひととき癒してくれたのを思い出す
休む理由づけができた、とも言う

この時は、自宅近くの黒部アルペン村から室堂直通バスに乗り入山
当日真砂沢ロッジ泊。2日目は仙人湯小屋泊、3日目欅平まで下り、自宅に帰った
自分に山を教えてくれた、「村の先輩方」との山歩きであった
ちょっと前の事なのだが、おいら44歳だった。おっとーなんちょ若いがよ~だ
曖昧だが、ときおさん(誰)の退職還暦祝い山行だった様にも記憶している。

当時のコンパクトデジタルカメラって、良いので300万画素位だっただろうか・・・
デジタル一眼なんてのは、雲の上の存在だった頃。
自分が使っていたのは、ペンタの200万画素だった様に思う。従って、画質はおそまつくん。
けど、それをも感じさせない魅力がこの写真にはある。と、勝手に思っている
今こうして見ると、写真というより、油絵的に見えるから、それが良いのかも知れない
ともあれ、
自然ってーのは、ほんとにすばらしい。そんなことを再認識する1枚でもある。
(↑だからクリックしてでかくして見ない方がいいかも、です)



不毛地帯
  
  


先週10/15から、木曜劇場フジテレビ開局50周年記念ドラマとして「不毛地帯」をやっている。山崎豊子の小説のドラマ化であり、主人公壹岐正を唐沢寿明が演じている。「似ている点があるかも知れないがこれはフィクションです」という様な事が冒頭にお断りとして入っていたが、モデルは瀬島龍三(一昨年95歳で亡くなっている)その人であると言われている。観たら丸々全くそやにかーであった。そしてその瀬島龍三氏とは、富山県小矢部市の出身。わぁおー “オラとこの出やにか~”という訳よ。

そのあらすじざっくり言うとこうなる。戦争屋としてのずば抜けた才能をいかんなく日本の頭脳として発揮。終戦後いろいろありシベリアに11年も抑留され帰国。その後、当時まだ小さかった商社に入社し、ビジネスで大成功を収めると共に、会社を巨大企業に成長させた。そして時の総理大臣の相談役も努めたという。戦争屋として、ビジネスマンとして、正に戦前戦後の日本の舵取りを握っていたスケールの大きな、つまり “でかい男・瀬島龍三物語”なのである。まったくすごい男がいたもんだ。

わたしの父もシベリア抑留者だったことも手伝い、思わず引き込まれた
そして唐沢寿明と言えば、かつてやはり山崎豊子の「白い巨塔」の主役を演じた。まぁそれの主役と言えば僕らの世代は田宮二郎なんだけれど、この唐沢寿明いう役者、自分にとっては好感度高い。明日の夜が今から楽しみだ。




池の平も小屋閉め
  
  生地、できたて館にて夕食会-850
                              生地・魚の駅「できたて館」にて 10/18(日)


北アルプスの山小屋は今小屋仕舞いの頃。池の平小屋もこの17日に小屋閉めし、管理人の菊池さんが無事宇奈月に下がられました。小屋閉めは手伝ってはいないが、今日ははっぱさんに声を掛けてもらい、今シーズンの労をねぎらうと共に、無事の下山、再会を喜び夕食会。

黒部・生地(いくじ)の美味い魚に、酒も会話も進みます
男同士、静かで温かい、いい時を過ごした。はっぱちゃんさんきゅう。

のち、はっぱちゃんちで二次会
はっぱちゃんの事務所?-500ta
はっぱちゃんのピアノ演奏です、やるなー
・・・うそです。ブログの更新かな、です
それにしても、雰囲気のある部屋だ。


裏剱の中でも「奥座敷」と言える池の平小屋。飾り気はないが、遊び心も忘れない工夫が随所に見受けられるとてもかわいい手作りの小屋である。また、北方稜線ご用達と言う意味合い、加えて近くに仙人池ヒュッテがあることから、体を休める登山者はまばら。ちゃらちゃらした空気は無い。ここには、何か今風な「レジャー的登山スタイル」とは一線を隔す、古き良き時代の“純粋でストイックな薫り高き山の雰囲気”が漂うのだ。

室堂から入り、剱沢を下り仙人新道を登りて来るも良し、剱岳山頂を越え岩にしがみついて来るもまた良し。そして黒部ダムからや宇奈月から入り雲切を経て、中には大窓から池の平山を越えてくるつわものも居る。アプローチルートはさまざま。疲れ果て小屋に辿り着けば、鉱山研究されている山師(鉱山技師)であり、シャイで控えめながら、なかなかおちゃめな菊池管理人がやさしく迎えてくれる。"モンローの唇”(何)にも会える。昨年は宿泊、今年は剱北方稜線を歩いた時に立ち寄った。みなさん、裏剱のとっておきの奥座敷に、来シーズン(も)訪れてみてはいかがでしょう。





追悼 加藤和彦
  
  
       ’69年 作詞 北山修 作曲 加藤和彦 ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」


作曲家で音楽プロデューサーある加藤和彦さんが亡くなった(62才)。加藤和彦と言えば、当時自らもミュージックシーンに多く登場し、ヒットも出した。が一方では、多くのアーティストにその才能を提供していた人でもある。そういう点でも、日本音楽史上に大きな功績を残されたと言えると思います。

個人的に印象深く残っているのは、何故か・・・コロナFF4ドア?だったかの、みんなが引力に引っ張られ斜めに傾いてゆく、そんな映像のCM。大人が妙にはしゃいで楽しそう、って思った。

ちょうど40年前のこの歌、伸びやかでナチュラルな音の調べ流れがいい
歌詞の通り、白ゆりをイメージしながら、冥福を祈りたい。


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小屋閉め 2009
  
  最後の晩餐-565ta
                                    “最後の晩餐” 開宴 (10/14)
              分かりにくく、そして顔とは限らないが12名全員が写り込んでいる。


今年も、仲良くしてもらっている北ア最北端の営業山小屋“朝日小屋”の今シーズンの小屋閉め作業を手伝いに行ってきました。初日は好天の中、“ほほをやさしく撫でてくれる様な秋の陽ざし”を五感で感じながら気持ち良く、言い換えれば、快晴の中、前へ前へではなく、次ぎ踏み出す一歩に心踊り、踏みしめた一歩に幸せを感じる、そんな登山を満喫できた。クサリ場の上で小屋閉め一次大隊(20名以上)とすれ違い、後に夕日ヶ原で昼食を取り、小屋入り。

一息ついた所で、その日にやるべき作業はほぼ消化されていることが判明。ならばと午後からは、重要任務“残酒整理作業”に専念。何事にも得意不得意があります、今回同行のタクちゃん先輩、早速面食らったことと思います。すみませんでした

来年の小屋開け(6月上旬)まで小屋は8ヶ月間眠りにつく。越冬でもある。大自然の中にポツンと残される小屋が小屋開けの時まで無事で居てくれるようにと、清水管理人が作業工程表を作成されます。僕らはそれに基づいて作業を進めます。また、いくらやりたくても全館水抜きや大蓮華(という最後みんなが一緒に寝る部屋)の畳上げ布団の始末、最終日の朝食や弁当の準備や片付け・ごみ出し、そして戸締りの様に、最終日でなければ出来ない事もありますので、下山日早々に下がり始める為には段取りが決め手、極めて重要。作業計画がタイムテーブル的に紙上で目で見て分かるように出来ている事、これは非常にスマートでやり易い。漏れもなくす事ができますね。

さて、一夜明け、天気は上々。
ただ、山の天気は変わりやすいので、早速外仕事に入ります。
水タンク周り補強-565ta  無線アンテナも撤去-565ta
小屋の裏の水タンクの囲いを西棟梁の下、しっかり補強
てっぺんにある無線機のアンテナも外します
今となってはレアなシステムとなった公衆電話のアンテナも撤去格納
ぶら下がりに滅法強い○ちゃん大活躍。餅は餅屋ですね。

そして、来年6月上旬の小屋開けの頃、小屋の周りはまだ雪に覆われています(こんな感じ)。ほとんどが雪の下、なのでその為の燃料確保や、他、畳上げ、厨房処理などが、今回は僕ら最終作業部隊の前に順調に行われていましたので、今回はじっくりあれこれ小屋を観察チェックすることができました。一次大隊に感謝します。



そうこうしてる内に下山日の朝がやって来ました
一通り小屋閉め作業を終え、いよいよ下山です。
最後の朝-1120  最後の白馬岳-1120  最終下山部隊-800
                                                最終下山部隊

暫しの別れ-1120 
バンザイの丘で小屋と最後のお別れ。それぞれにそれぞれの想いがあるだろう。
後は、部隊が怪我事故何事もなく下山する事、これが最後の小屋閉め作業です。 

夕日ヶ原をゆく下山部隊-1120
夕日ヶ原を下がる。若い衆は大きな”下げ荷”を背負っての下山です。

今回、イブリ山頂⇔9合目間、この8月に新しく切り開かれた新道を通った
途中眺望開け、剱岳も望める。僅か4日間で開通させたとはとても思えない
良く拓かれたすばらしい登山道であった。


ブナ平をゆく-565ta  1合目まで下がり来る-1120  最後の100段-565ta
5合目付近ブナ平ではブナと木漏れ日に癒され、そして1合目まで下がり来た
最後は、ジャスト100段の階段を、ただただ登り、無事何事もなく北又小屋に帰還。



☆ 登山道から紅葉などの様子紹介
  昨年ほどではなかったが、時折光が入るときれいだった。

7合目下紅葉-565ta    降霜-750    クサリ場上部より朝日岳-565ta
7合目下(上山時)       8合目下降霜(上山時)        鎖場上部から(上山時)


7合目上部からの紅葉-565ta    イブリ紅葉-1120
7合目上部から(下山時)   イブリ山紅葉(下山時)



北アのスーパースター白馬岳は真っ白、朝日岳も雪で薄化粧、
そして、中日と下山開始直後には朝日平にも雪が舞った
北アルプスは本格的な冬篭りに入ろうとしている
小屋よ 朝日に集う岳人達よ 今年もありがとう
そして また逢う日まで。



母の七回忌 - 2009(H21)10/10(土)
  
  七回忌食事会-1000
                         母七回忌法要 懇親昼食会 10/10(土) 自宅にて


平成15年10月に交通事故であっけなく急死した母の七回忌法要を、家族と姉妹その連れ合いというごく親しい者が集まり、無事にお務めすることができました。主催者としては、ホッと一息安堵、肩の荷が下りたと言うのが本音でしょうか

姉妹にとってはうちが実家な訳ですが、ここ何年も盆や正月に自分が山に行ってるもので疎遠になりがち。そして、こういう機会でもなければみんな揃うことが難しいので、久しぶりに、自分を含め4人が幼く、同じ屋根の下で暮らしていた頃の思い出話しに花が咲き、義兄弟も交え、時間を忘れエンドレス的に盛り上がりました。


キョンも座った-596
この子・・・"キョン"も、ありゃすっかり家族気分
気がつけば、ちゃっかり 座布団に座っていた
みごとな開脚くつろぎモード
ちいさな子供がいるのとおんなじ
みんなのアイドルとして、場を和ませてくれた。


でかい事は好きじゃなく(…出来ないとも言う)、今回こじんまりした法事としたが、写真に入っちまってる、母に父(父は私が二十歳の時に他界している)そしてばあちゃんは、僕らが仲良く声高らかに笑い涙する姿にきっと喜んでいたと思います。暖かい木洩れ日に包まれた、いい七回忌だった。



山から帰り着て観ることの多い「笑点」に「天地人」。今週はそれらを観てからの、明早朝からの3日間、朝日小屋の小屋閉めに入ります。あらあら準備は済ませた、爪も切った。ただ明日の小屋入り日は好天そうだが、後の2日は降られそう(雨?霙?雪?)。 「寒さと雨雪対応型」装備にて、今シーズンの小屋閉め作業を手伝って来ようと思います。報告後日。昨年の小屋閉めの様子は こちら