旅のしおり
プロフィール

Author:シュンちゃん
還暦。思えば遠くに来たもんだ。人の命はいつか必ず果てる。生きる軸足である山のほか、本にしおり挟むよに、趣くまま時折生きし証ここにつづる。齢ゆく者のボケ防止備忘録ブログです。適当におつきあいください。
   since 2008(H20) 8.28 



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空沢山(からさわやま・・・1420m) 敗退
  
  981Pに向けてn&h-430
                                               雪中行軍



水曜(3/25)から山ノ神様の白い贈り物が舞い降りました
愛子さまも春休みはスキーです。ならばおらたちも。。。と
今シーズン最後と思われるまとまった降雪に誘われ、パウダー求め
火打山から放山へ連なる尾根上に位置する頚城の空沢山に出かけました。
メンバーは、はっぱさんnyamaさん、富さんの4名
富さんはスノーシュー、他メンバーはスキーという変則山行形態。


発着点は笹倉温泉。出だし、るんるん。川底にも柔らかな陽が差していました。
一時ガスられたりしましたが青空も広がる快適登行。と。。。
火打山川の渡渉が目論み通りにゆかず
ならばと上流に見える堰堤辺りに渡渉点を求め左岸を進みます。
自然のましゅまろ-500 上流へ進む-500



堰堤の上部でもすんなり渡渉できる所が見い出せずはたと。川底へ滑り下りても上がるには3m以上の雪の壁の除雪階段付けが必要。帰りも然りです。この堰堤、文字通り思案橋となったのですが、その堰堤にも結構嵩高に雪が積もり、スキーを持っている僕らには、上がり下りにもかなり危険がつきまといます。そして安定した高みの尾根へ辿りつく対岸の斜面も結構しょっぱそう。と、その時急に下から濃いガスが沸いてきたちまち辺りは真っ白になりました。も一度下流に渡れる所がないか戻ります。結果、においを追いそれを失いかけたわんちゃんの様に行ったり来たりという状況。一面のガスにこの先空沢山を目指すことに若干の不安はありましたが、この時点では来た道をしばらく戻りますし、GPS、下調べ十分なnyamaさん提供のビーコンもありますから安心感があります。
・・・が、諸々の状況を総合的に判断し、本日はここで撤退としました。
頼みの堰堤-800 急にガスが-500
       写真提供 はっぱさん   急激に濃いガスが迫ってきた
ガスに巻かれた-800
  真ん中のほうにメンバーがいる



時間はあるので、それじゃ981mピークを踏んで帰ろうと言うことになり、ルート変更。スキーでスネ半ば、スノーシューでは膝下までのラッセルにてピークを踏みました。ではここから下がって休憩にしようということで、シールを外しいざ滑降、ありゃりゃこれが格好になりませんがな。新雪が1m以上あり、その積雪量は3mを優に超える、朝日弁で言う所謂「どっぽな」雪だったのですが、真冬のパウダーとは少し趣の異なる雪質に滑りはチト難儀。

楽しんでるのか優しい罰ゲームなのか・・・それぞれがそれぞれに難儀してる、と、その時、富さんが穴にはまった。981mピークの北西100m標高947m地点。最初は手で掘ればすぐ出れると思っていたけど、ヤバイ。ここの所の急なドカ新雪が木々の上に大きな落とし穴を形成していたのだ。

スキー外し救出に入った自分もすぽ~んと体もっていかれました。幸いにも自分の右足が太い枝の上に乗り、半身で済み彼をスコップで恐る恐るそっと掘り出しました。見えない下の枝にスノーシューが変に絡めばますます深みにはまってゆくそしてツボ以上に上がれない状況。「動けば落ちる、じっと現状を維持するので精一杯」本人にとってはきっとそんな状況だったものと思います。上がろうとしてもパウダー的雪質にもがきながらどんどん落ちてゆく、正にアリ地獄の様な現場でした

この穴はたぶんこれだけじゃなく他にも点在してるものと思われた。スキー組は大はまりはしなかったがかんじきスノーシュー使用の際は大いに注意が必要であることと、単独行や、複数行であってもお互いを意識し合って行動しないとこれは即命取りとなる。超豪雪地帯の怖さを知った。
底なし穴-800  穴イメージ-600
       救出後の写真     分かりにくいのでイメージ断面図



帰りは、笹倉温泉のつるつるの湯でさっぱり疲れを癒しました
露天の深紅の雪椿が、白き雪に映え、すてきに見えた。
そして平均年齢50歳のおやぢたち、最後は、ちゅめたいアイチュでしめたのだ~
笹倉温泉露天風呂-600 椿-600 

アイスで乾杯-850
   なぜかおいら以外全員短髪で
     おいらだけが、半そでやなぁ


今回のログ
空沢山ログ



今山行で、履きなれた靴にもかかわらず左足小指に豆ができた。左斜面が多かったからだろうか・・・分からない。ひりひりし心臓がそこにできたみたいになっている。そして、破れた足の豆を見てると、”あなたが噛んだ小指が痛い・・・”じゃないが、曇ったり晴れたりガスに巻かれたり雪に降られたりで、天気どうやったん?と聞かれて答えづらい一日だった。とても複雑なあの辺りの地形には十分気をつけなければいけないが、アプローチは頭に入った。そして一難去ってまた一難、頚城の山域の怖さを目の当たりにした。また、空沢山登頂は今回叶わなかったけれど、スキーよりも得るものの多い「山」であったと、そのことが真っ先に今脳裏に蘇える。



こよみはあと二日で4月。今スキー山行を終えこれで気持ちは一段落。花を楽しむ気持ちに切り替わった。山での岩ウチワやカタクリ、ひらばでは桜の開花が待ち遠しい。人とは勝手なものであると、今そう思う。




信越湯の旅山の旅 ・・・山編(大毛無山 1429m)
 
   山頂が見えてきた-430
                      山頂が見えてきた。山頂は右の平らに見える所です。

山遊探「信越湯の旅山の旅」二日目、お日さまサンサン。とても良く晴れわたりました。気持ちの良い朝です。前日の十分なと言うか過剰な栄養補給に重いからだと頭が起きれるか心配したのですが、そこはみんな山屋です。身支度し部屋を片しいざ出発。行き先は、閉鎖になって3シーズン目の新井リゾート(スキー場)のトップ上に位置する大毛無山(おおけなしやま)です。単にゲレンデを登りつめても到達できますが、ルートは膳棚・御備川の北側に位置する尾根を伝って要山(828m)に至り、その細尾根の先は現場でルート工作するもの。

歩き始めて、尾根に取り付くも、雪が少ない、雪の付き方微妙~。トラバースぎみに歩を進めます。と、海ちゃんが時たま動かなくなります。そして歩き始めから、早速ぶーたれます。歩ける力は間違いなくあります実力派です。なのに「歩けな~い」とニャンコの様に暴れます。所々リーダーmたんがねこじゃらしでご機嫌とって進みます。海ちゃん本当はただ遊んで欲しかっただけなのかも知れない。山暦50年とも聞こえてきた・・・んな訳きゃないけど。
ぶーたれるうみちゃんⅠ-400 ぶーたれるうみちゃんⅡ-400 
。。。っでなぜ?「海ちゃん」なのか?もちこれ愛称ですが、話し方が桃井かおりに良く似てとてもアンニュイ。そしてその昔ショーケン、川谷拓三、室田日出男が出てた「前略おふくろ様」に「恐怖の海ちゃん」というのがいましたね、そう、そこからなのです。観察してると、その恐怖の海ちゃんに言動がよく似てるのです。

所々安定した雪にのっかる
海ちゃんは本当はこんなに元気(標高645m地点)
yちゃんとどっちがお姉さんか・・・よく分からない
そして、ルート工作するmたん
自分よりひとつ若いがいぶし銀のような実に渋い山屋である
そして、富山ハイキングクラブのHPを管理運営してるのが彼である。
いっとき安定した雪に乗る-500 リーダーもりたん-500

肝心要の要山(標高828m)にて
尾根の雪が消えやぶ山になったら、ここまでか。。。と思ってたピーク
目指す山頂は、中ほど奥のツクンとしたののさらに右奥
これで雪にはのったけれど、ここまで要した時間2時間40分
そしてここに至る最後の100mはiちゃんが終始トップでステップ切ってくれた
相変わらず、すばらしい脚力であった。 ←おない歳ながに、足も見てくれも若い。
「きゃーアコまでむりやぜー」ってこの時はまだそう思いながらシャッターを切った。
要山、山頂は遠い-800

長かった尾根道を歩き通し、旧スキー場最上部の施設も超え、いよいよ山頂に迫ります
そして、妙高山、火打山、焼山、権現岳などが、圧倒的に見える山頂に到達です。
雪の付きの悪い尾根道の藪こぎに難儀してまでも
頂に至りそのすばらしい眺望に心奪われた時、それは同時に疲れた体をも癒してくれた。
山頂をとらえる-800 山頂直下-550 山頂より焼山方面-550

それぞれが、頚城のすばらしい「山模様」に酔う
そして山頂では、お互い日ごろ言えない悪口を大いに言い合いました
取っ組み合いの大喧嘩です。でも、気まずくはなりません
なにせ、ここは「おおけなしやま」ですから、なんちってー"^_^"
そして、おいらの頭ももうすぐこの山名のごとくなんで、ちょっと愛しく思えました。
眺望にうっとり-800 山頂集合写真-800

中央が登ってきた尾根。結構たいへんだった
帰りはゲレンデという周遊コースを取りました
登り5h15m下り1h52m。赤が登り黄色が下りです。
登りつめた尾根を眺める-800 大毛無山トラック

かつてにぎわった新井リゾート施設
まさに 兵どもが夢のあと である    
兵どもが夢のあと-600 かってのリゾート
                                    かつての様子

今回は上山ルートからスキーは持ち込まなかったが、手付かずのスキー場跡である。来シーズンは宿泊して、ゆっくり山スキーの練習にでも来るか~なんて声も聞かれました。まったくその通りです。ある程度雪が降れば豪雪地帯の中でも取り分け雪の多いエリアです。極上パウダー食い放題。適当にテント張って泊。何か足らなくなったなら滑り降りてってちょいと車で買い足しも可。そしてじっくり山スキーと向き合え十分過ぎるほど嫌んなるほど山スキーを楽しめる稀な所であると思います。

そして、スキー靴を履かないで山を歩いたのは今年まだ2度目
山靴がこんなに軽いとは、ちと感動。忘れていた。
「大リーグボール養成ギブス」じゃないが、足の開放感すごく、5kgほど減量した感じ

山から下りて、最寄の湯楽里(ゆらり)館でさっぱりした
昨日朝家で風呂に入っていったので、今回の旅2日間で
実に10回風呂に入ったことになる。貴重な体験をしました

信越湯の旅山の旅 ・・・お湯編(野沢温泉~赤倉泊)
  
  のざわ1
              野沢温泉お湯めぐり、湯も良いが街めぐりもまた趣がありました。

山遊探(今回は結果"ふぃふてぃーず")で信越方面に出かけました
もちろん山屋らしく、登山が主目的の山旅であります。
二山を目指します。 なんて、そのはずだったのですが・・・・
初日予定の斑尾山は、目的地まで行くには行ったのですが
ありゃりゃ、妙に暖かく絶望的な雨まじりのガスが一面に広がります
っで、全会一致、野沢温泉外湯めぐり 変更
のざわ2 のざわ3 

13ある湯殿の内6つをめぐりました
最初はうきうき、のんびりめぐり始めたのですが
これがどーして、あつ湯ということもあり、体力勝負じゃん
それに6回も服脱いだり着たりが、えらいせわしいのだ
下着にコートがここの正装かも、ってyたんが言っていた
ここでは「危ない人」が理に適っていて正しいのだ(ほんとかよ)
まわり終わり、千石城山歩いた以上に疲れが出ました"^_^"
のざわ4 のざわ5 のざわ6

時折小雨に降られながら湯を求め坂の街を歩きまわり、湯に身を沈め一汗ふた汗掻いたので、さっさと買出しして今日の宿へ向かいました。今日の宿は今回の参加者海ちゃんの会社の福利厚生施設(赤倉)です。これがとてもとても居心地が良いのです。よい部屋でした。掛軸かはたまた屏風か、窓からは居ながらに白き妙高山が見えました。山屋にはもうたまりません。世話になりました、ありがとう。っで本日湯には行けなかった後発iちゃんが到着し全員集合。後はお決まり、飲んで食って四方山話しでありました。
エトーレ1 エトーレ2 エトーレ3

ここで2回風呂に入る。特に夜が明けてゆくのを見ながらの朝風呂はとても気持ち良かったです。

PS.この日は登山家田部井淳子氏も野沢温泉お湯めぐりをされてた様ですが、お会いしなかった。

・・・2日めにつづく。
春木山(1590m) ・・・ハレルヤ3月例会
  
  山頂から三ヶ辻山方面-430
                  春木山山頂(標高1590m)より三ヶ辻山(標高1764,4m)方面




春木山(はるきやま)に行ってきました
訪れたのは一昨年2007年4月の同例会以来。
ルートは、自分は初めての、利賀の奥の方、奥大勘場からで
世話役はyamanoutaさんでした。いろいろありがとうございました。


集落除雪終了地点から、まずは林道を行きます
多勢なのと今日は先行者のトレースがあった。ラッキー
日差し差し込む好天の中、ハイキング気分でスタートっす!(^^)!
ゆっくり体を起こし、尾根取付き地点で一服。
y子の腰穿き、落ちんやろーか~ 気になる^^; 余計なお世話である(T_T)
林道行軍Ⅱ-903 林道行軍-750 y子の腰穿き-500



スノーシュー・かんじき9名、スキー・ボード4名 総勢13名のパーティー
準会員的メンバーに加え
好山病友の会スキー部から2名参加
今回は朝日小屋の清水さんも参加されました。
大人数の割には1時間で雑木林の急登を登り詰め、1138Pへ
このピークの手前で、2002年栂海新道をご一緒したT会のoもっち氏
2007年大日岳をご一緒したt野氏のパーティーとお会いしました
皆さんいぶし銀の様なオーラを漂わせ、確実に歩を進められます。
ぼくらも、真っ青な空の下、前夜の真白き新雪を踏みしめ、広い尾根歩きを満喫です
そして、思い思いに山頂に至りました。全員登頂ですヽ(^。^)ノ
1138P目指して-500 気持ちの良い尾根をゆく-500 山頂に近づく-500



絶景の中でのランチ
登頂の喜びと山岳パノラマそして美味いもんに、自然に心と体が和らぎます。
三ヶ辻山をバックに、ドクターt氏、酒呑老子氏、そしてhシェフ あー気持ちよさそー
いつもは美味しいものを提供してる側のhシェフも あ~んで ぱっくん (*^_^*)
シェフの甘いものに・・・「シェフのもの」にではない、オットー!
思わず我慢できずか、しゃぶりつくmちゃんがいました(←モチこれやらせね)
山頂休憩の様子-500絶景の中ランチ-500シェフあ~ん-500かぶりつくm-500


休憩が終わったら
最近のお約束、yちゃん先生指導の下、お遊戯で体脂肪を燃やす
「♪アルプス一万尺 ♪小槍の上で」 じゃないが
風の無いすばらしい絶景の頂でのお遊戯、楽ちかった。
yちゃんに合わせ食後のお遊戯-750 春木山集合写真by元ちゃん-640
                          山頂集合写真(提供 元ちゃん



スキー・ボード組の様子
昨日から心配していた雪は、量はまずまずのものの
ありゃりゃ、モナカで重くパウダーとはいかなかった、
また総じて樹間狭く、快適シュプールは描けなかった。
ただ、山に分け入りスキーに乗ってさえいれば
それだけでまんぞく 楽しくてしょうがない 4人でありました。
これ、志向が違うから当たり前だのクラッカー。。。。。。。ゲレンデとか。。。。
アルペンルートが開いてから立山でスキーされる山スキーヤーには分からない世界
入り込んでしまった里山スキー愛好家でなければ、分からない微妙な魅惑の世界なのである。
ヒロシ-500 m-500 y-500


今回の登頂ルート(myGPSより)
春木山ログ





帰りはこの辺来たらいつもご用達、天竺の湯でさっぱりし帰りました。


今回、おいらは朝コンビニで買った食糧を車に忘れました
kちゃん、tちゃん先生に途中恵んでいただき、体力回復できました
1138Pへ向かう時はスキーを担いでいたこともあり、もうへろへろでした^^;
また山頂ではWyちゃんほか、みなさんに一杯いただきました。
この場を借り、厚く御礼申し上げます。


弥生 三月 春うらら 富山の桜はまだ3週間ほど先であるが、
好天に恵まれ、名前のごとく春を体一杯感じた今回の春木山山行
三ヶ月続けて好天に恵まれた今年のハレルヤ例会、さて来月はいかに、である。





佐知子さんと出かけた
  
  



「佐知子さん」とは、後にも先にも(先は分からない)、今の所ただひとりの配偶者家内である
自分の介護と死に水をとってくれることになってる方である ←逆もあり得る
久しぶりに、本当に久しぶりにその佐知子さんとふたりで映画を観ました。
第81回アカデミー賞外国語映画賞
第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品の「おくりびと」


山崎努の自然で圧倒的な演技力、笹野高史の飄々とした市民的存在感
そして、今はバツイチとなった子持ちの広末涼子のきれいさ、ほかの出演者も良かった。

若い頃は富山と東京で良く通った映画館、年間60~80本観てた。
東京の場末は三本立てってのが普通だった
金が無くても汚くても、健康で元気だった。意味もなく前向きだったあの頃。

自分自身も久しぶりに映画館という公共の場に行ったのですが
席がとてもゆったりしていることに、びっくりしました。
そして、えっこれで終わりけ~と言いたくなるエンディング
もうしばらくあの話しに付き合っていたいと思わせたと言うことは
自分の心が引き込まれたと言うことなのでしょう。
ひじょうにまとまった秀作であると思いました。

わたしの両親はすでに旅立って二人合わせて37年
家内の両親は今も健在、あちこち痛いと言いながら
風呂上りにアイスなど食べながら、今もぴんぴんである(*^_^*)


っで、映画終わったらちかまで食事であります
何度も訪れてるファボーレだけれど一人ではよーは入れなかった
オムライス専門店のお店「ポマムの樹」であります(*^_^*)
や~どれも、おいしそ~~
menu-750


っで家内はレディスセットメニュー、お値打ち感に主婦は惹かれるようです
↑いつもは「誰がレディーや~?」って思うのに
ふたりっきりだと素直に受け入れられるものです・・・不思議・・・
おいらは牛デミグラスなんやらかんやらというやつにイタリアンっぽいサラダ
テーブルに調味料は何も置かないのがこの店の主義主張だが
サラダには好きな胡椒をオファー。サラダに胡椒みんなかけんのかなぁ??
サラダには黒胡椒がよく合うと思うんだけれど・・・・
となりのすき家でも良くそう思う。
オムライス-750
卵はもう一工夫ふわ~っとしたのが好みでしたが、ソースが自分の口にあっており美味しかった
そして、このサラダがメインに負けずとてもとてもgoodであった。

自分が20代若かりし頃富山では新作2本立てのロードショーって常識だった
前評判からジェニファー・ビールスの「フラッシュダンス」観に行って
同時上映のリチャード・ギア主演の「愛と青春の旅立ち」のほが
今では記憶に残る映画になってるように、このサラダの味は忘れないだろう。


こどもができてから
家内とふたりきりで映画観て食事したなどという記憶はほとんどない
おきまりのデートスタンダードコースである
休日をふたりで過ごしたってこと、昨秋の蓮華温泉以来だっただろうか・・・
どっちにしても山は歩かない人なので、年に2~3度のレア体験には間違いない。

これで、明日は気持ちよ~く、山に出してもらえるヽ(^。^)ノ
でも、天気と雪の具合、どうかな
家内の雲行きより、今はそっちのほが気になる。

岳友、遠方より来たる?
  
  nahoko-430




京都の岳友n子が雑誌に登場。岳人別冊春山にである。雑誌に載ってやって来た。
彼女とは2005年秋剱岳をご一緒した。正確には朝単独黒部を出立し、立山室堂から剣山荘に寄り、別山尾根を辿り剱山頂に至った時、そこでの「ごたいめ~ん」が最初の出会いである。n子とはその時の同行者r子を介して知り合ったのだが、そのr子とがそもそもその前年剱岳山頂で偶然会って別山尾根を下ったという仲。山の世界、一期一会も趣があり良いものだが、ネットや携帯の普及もあってか、二人とは今も交友が続いている。
nahoko-500
    剱岳山頂よりクサリ場を下がるn子
    サインなどして、余裕です

この時は、寄った剣山荘出る時水忘れ、気づいたのがすでに前剱だったので、あやふやな読みながら予定通り彼女らがすでに山頂にいることを想定しそのまま登攀。歩いてる時は「水が無い」という心理的な不安感、そして山頂に至った時はもう喉カラカラ、恥ずかしながら「水水水、水ちょーーだい!」状態。その上に三角点から長次郎の頭側に置き忘れてあった誰のものだかもいつのものだかも分からない水をも飲みまして心身共に一安心した覚えがあります^^;。っで、山頂滞在18分、三人で一緒に剣山荘に下がりました。当時の小屋はその後建て直され新しくなりました。今じゃシャワーもある。

剣山荘に着くと、yamanoutaさんご夫妻が小屋入りされており、結構込み合う出入り口休憩所で5人でしばし歓談。当時剣山荘でバイトしてたn子の友人のk藤君は今は富山県警山岳警備隊員としてがんばっている。





話しはここからさらにその一年前にさかのぼります
n子と知り合うことは前年の剱岳山行の時に決まっていたのです
この時は、初日 馬場島→山頂→剣山荘  2日目 剣山荘→山頂→馬場島
というルートを予定
剱山頂①-750
赤いのがr子。70ℓのザックで山頂からダム側10m程の所にぽつんとひとり座っていた。でかいザック空にしての登頂からテン泊登山者だなとは容易に分かったのですが、もひとり写っているk杉君とふたりづれだと思っていた。ところがどっこい、ありゃりゃ二人とも単独行者でした。若い娘の一人旅においらは(*^_^*)←これ自然ね。そして白と黄色のお二人は、同じ早月尾根を登ってきたパーティー。このふたりは早月尾根を下ると言っておられた。ひととき5人で過ごしのち残った三人で一緒に別山尾根を下りました。そこで三人で祝杯上げ、k杉君とおいらは剣山荘泊。r子は剱沢のテン場へひとり戻って行きました。彼女は翌日テントたたみ立山三山縦走し帰路に着いた由。


っで、翌朝また剱岳山頂を目指し山頂で、yamanoutaさんと落ち合いました
剱山頂②-750
この年になぜここまで剱岳山頂に拘ったかと言いますと、例の三角点が運び上げられ、いまだその標高が決まっていなかったからです。岩と雪の殿堂北アの雄「剱岳」山頂の三角点の標高が定まっていないのはこの年だけだったからです。自分が生きてるうちには二度とあり得ないことですから。何度も何度も撫で回しました。前日「おじさん何してるの?山頂はこっちよ~」ってr子に言われたような言われなかったような(*^_^*) ←めはそういってたよな?(-_-メ)
そして、少し長めの休憩の後、僕らは馬場島へ向けて下山したのです。

その昔の測量隊の様子を描いた映画「剱岳・点の記」が今年6月公開予定です
人工的な作り方してなく、大自然と正面から向き合った力作だと聞く
山岳愛好者のみならず必見ですね。






話があっちこっちになっちまいました
このn子、縁あって朝日小屋に3年連続山開きの時に手伝いに入ってくれている


6月末頃なのだが雪の多い年もありました
慣れてない雪道だろうに、若さです、上手に歩きます
06-1-800

きびしいイブリ尾根を登り詰めたイブリ山山頂(1791m)にて
06-2-1000

夕日ヶ原(標高2000m)にて
06-3-750


親子というにぴったりな歳の差だけど、時々遊んでくれる
かわいい山屋である。 また、とやまにあそびにこられ~



カンボジアレポ-5 完結編
 
  演奏-430
                ホテルカンボジアーナで笑顔のとてもすてきな娘に出会った

今回の旅でも、いろいろなものことと出会った
「ウドン山」という山にも登った。とても暑かったけれど
山と聞いて無意識に反応、いつもは後方歩いてたのに
気がついたら一番先に登りつめてる自分がいたのには驚いた
どーしたん??? と、みんなに冷やかされた。

最後の日、クラタ・ペッパーに出かけました
かつて、世界No.1品質を誇っていたこの国の胡椒
ポル・ポト政権下で壊滅し、誰も取り組まないので、日本人が始めたとのこと
少女達が作業にあたっていた。
kurata ペパー-430 kurata店内-500
kurata工場-750 自慢の胡椒-750

またまた街中の様子です
日本では横の車間というのは、どうだろう・・・
普通なら1m、近寄っても50cm位でしょう
それ以上接近したら何かありって思います。
でもこの国の横の車間距離は普通で、30-20cm
10cm以下なんてのもざらで、みんな上手くすり抜けてゆきます。そして
レクサスだらけのストリート、ハマーなんてのもちょくちょく見かけました。
街の様子①-750 街の様子②-750

プノンペン最後の夜、川涼みに出ました
心地良い川風にあたりながら、今回の活動を振り返りました。
川涼み-750


今回訪れたカンボジアという国、経済は中国人を中心に外国資本に支配されてしまっており、富む人々は一部いるが、まだまだ大衆の貧しい国であった。そして忘れることのできない過去の凄惨な歴史。「もう戦後ではない」と言われて久しい日本だが、この国のそれはまだ終わっていない。

貧しいがみな必死に生きている。そこに広がる、生命の躍動感、その生命力、そして家族の絆つながり等々、ストレートに五感で感じることのできる国であった。韓国やタイ、欧米も良いが、アジアの仲間カンボジア、みなさんも一度訪れてみてはいかがでしょう。



カンボジアレポ-4
  
  孤児院で遊んふたり-430
                             紙飛行機を飛ばし一緒に遊んだふたり

少し物が腐りかけた様な臭いに香辛料と酸味がちょっぴりブレンドされた乾いた空気が鼻を刺すプノンペンの街中から、車を走らせ1時間半、そこはもうすっかりのんびりした田舎。孤児院を訪れました。以下写真にて報告です。

差し入れのお昼のサンドイッチのパンを切る包丁を忘れたと言うので途中で買い物です
横には、ミシンをふむ女性の店がありました。「衣」というのはこの国では大きな産業のようである。
途中で買い物-750 ミシンをふむ女-750


孤児院に到着しました。
こども達が並んで僕らを迎えてくれます。ちょっと足長おじさんになった気分
暮らしに必要なさまざまな物資をトラック一杯届けました。まずは医薬品を渡します。
50㌔のコメ袋も子供らが格納してくれます。お菓子をもらったこども達心中嬉しそうでした。
しかし、たくさんお菓子をもらっても、託児所のこどもらと違い、この子らに帰る家はない。
孤児院に到着-750 医薬品を渡す-750
コメを運ぶ少年-750 お菓子を手にしたこども達-750


今日のみんなのランチ、サンドイッチは僕らの差し入れ
現地で女性が中心になり作ってくれました。
っで、ぼくらも昼食
同行のf氏は体調不良で今日は「赤いたぬき」
里子で長年支援してきたs女史がそっとお湯を入れ気遣っていた
今はフランス大使館に勤務する彼女もf氏の支援がなければ今は無い
カンボジア語はもちろん、英語、日本語、フランス語の4カ国語が使える才女になった
もちろん、フランス語が一番上手ペラペラだと言っていた
この国では、「学ぶ」と言うことが貧困から抜け出す大きな手段なのだ。
今日のランチ f氏とs女史
勉強したくても、できない事情の広がるカンボジア
勉強したくなくても、しろと言われる日本
勉強する場が広がっているのに、勉強外の事に熱中してる日本のこども達
半世紀後、日本に明るい未来はないと思う。

こどもたちとの交流
今回は、なわとび、紙飛行機、折り紙を持ち込みました
加えて、ミュージックに合わせ、ダンスをしました
ほとんどの子はダンスが大好きで踊りつづけます
ダンス上手な少年の右足は義足である。でも明るい。ほっとした。
そしてこども達は炎天下の元疲れ知らず、こちらが参りました(*^_^*)
今日も盛り上げる隊員 ダンス上手な少年 
なわとび 隊員もダンス
折り紙
どんなに「一緒に遊ぼう」といってもみんなとは遊ばない子もいた
人それぞれだから、それでいいじゃんって思うのが日本だが、
こんな小さいのに、きっと過去にとんでもない地獄を見てしまったのだろう。
日本じゃ「トラウマ」なんてことばを乱用するが、ここでは誰もがトラウマを持つのだ、
"ことば遊び"では済まされない、心の闇の現実がそこに見て取れた。
トップの写真のふたりもそうだった
そして、この少女の笑顔、ついに見ることはなかった
心の闇は今なお、外に向けて開くことがないのだ。
遊んでて、もうことばが出なかった
ただただ、ただ、抱きしめてやりたい、そんな気持ちになった。


家族がいるので孤児ではないのだろうが、隣の家の少女がこちらをじっと見ていた。
孤児院にはJIRAC代表佐々氏が来られたときの写真があった。
孤児院にカモの親子が歩いていた。カモも親と暮らすのに、
ほとんどが生後親に捨てられたこのこども達。人間って高等生物なのだろうか・・・・
これを見た時、思わず複雑な気持ちに時間が止まった。
となりのこ 
佐々氏 カモの親子


カンボジアの復興に長く係わってこられたn氏には特別な想いがあるのだろう
僕らの引率として、日頃は淡々とクールな語り口の氏。この夜は、熱く感じた。
n氏


この国に今生まれなければならなかった「定め、運命」がどうだこうだと議論しても、彼らの腹は満たされない。何も解決しない。中には国の現況から幼い頃から売春婦として生き、赤ちゃんができても自分が食べるために育てることもできず、このような孤児院にこどもが来るのだと言う現実。ホテル滞在中にも外国人が幼い少女を連れて歩く姿を目にした。しかしこの様な事を繰り返していてはいけないのだ。

そして、支援救援活動において大切なのは、かわいそうだとただ金や物を与え放置するのではなく・・・心がありお金や物を届ける事は何もしないよりすばらしい事ですが、出来得るならば現地に赴き彼らが本当に自立して生きてゆけるように、時にはきびしいことばも投げかけ、そうしながら自立に向け一定期間サポートし続けること。そういった「自立支援」が大切なのだ。そして突き詰めれば人と人とのふれあい、継続的なつながりが大切なのではとこの孤児院を訪れ、そう思った。



カンボジアレポ-3
 
  託児所のみんな-430
                  JCW託児所のみんな・・・こどもの笑顔は万国共通ピュア

この日の朝はNHKの朝ドラ「だんだん」から始まった。えーーーっであるが、現地時間朝6時15分から毎日やっていました。まてよ、ってことは時差2時間だから日本のアナログ放送時間8時15分と全くおんなじ時にやってるんやぁ。そして政治経済を始め日本の状況は刻々と入ってくる。全く世界も狭くなったものです。分からないのはじぶんちがどーなってるかぐらい。それは便りがないのが無事な証拠と言うことで変に安心。

さて、身支度朝食荷の整理を済ませ、昨日悲惨な歴史に触れてきたのでまずはお寺へお清めに行きました。この国はヒンドゥー教の次が仏教だそうです。木陰で気持ちよく涼んでいると象が現れました。商売らしいので勇気ある隊員二名が乗ってくれました。見た目よりかなり高くて揺れたものと推察。その後王宮を見学に行きました。
象に乗る-750
僧侶がゆく-750

昼食をとった食堂の前で少年が何か売りながら靴磨きもなりわいとしていた
一足1000リエルらしい。4000リエル≒1ドル、つまり約25円
表情の明るい子で、それだけで心にぬくもりを覚えた。
靴磨きの少年-750

JCW託児所に到着。この託児所はJIRACと、JIRAC事務局現地スタッフであり
ご両親がポル・ポトにより殺害され、ご本人も当時刑務所に入れられたことが
あるという、今回ガイド役を務めて下さったHII女史の資金で運営されている。
みんな、いつもは昼寝の時間だったからなのか、少し待ちくたびれたからなのか
最初はあまり元気がなかった
託児所のみんな-750

参加隊員によるパフォーマンス
芸は身を助く。すばらしい時間でした。こども達も喜んでいました。
ぱふぉ①-750
ぱふぉ②-500ぱふぉ③-500
若い隊員二人はこの後僕らと日本には帰国せず
一人はタイへ、もひとりはインド方面に旅を続けると言っていた
ふたりとも生きる力というか人間性人間力豊かな若者だった。


お菓子はまだぁ~
そうだね、はやく分けたげなきゃねー
まだかなぁ~-500


トヨタ車を中心に高級車が走るメインストリートからたった5分の
このスラム街に暮らすこの子供たちには、お菓子もぜいたく品
無邪気な笑顔は少なかったが、袋一杯になるとやはりうれしそうだった
帰って、兄弟姉妹始め家族と分けて食べるそうで、一目散に家に帰って行った
日本ではもう見ることのできない、家族のつながり、かかわり方だと思った。
がんばれよ-750


過去の凄惨な歴史から、教育者がまだ十分揃っていないこの国では、自国の文字さえ読めない書けない子供がまだ多いと聞く。ゆえに「地雷危険入るな!」の看板が読めず危険地帯に入り込み事故に会う子が今も絶えないのです。しっかり学んで、りっぱなカンボジア人になり、いい国を作っていってください。。。。。子供たちの顔を見ながらそんな気持ちでお菓子を渡した。



カンボジアレポ-2
  
  お菓子届く-430
                マーケットで調達してきたこどもたちへのお菓子が
                                その日の内に届いた(これは一部)

幹線道路沿いに位置するホテルで、行き交うバイク・車の、騒がしいと言うよりけたたましいという表現の方がぴたりとくるクラクションの喧騒に目が覚める。朝5時半であった。5時半この国はすでに「起きている」のだ。泊まる場所にもよるのだろうが、この旅には耳栓が必要だと思った。その後しばらく布団の中でまどろみ、ゆっくり体を起こした。

さて、この国を語るにどうしても避けて通れないのが、クメール・ルージュ時代('75.4~'79.1)ポル・ポト派による大量虐殺だろう。さまざまな説がありますが、当時800万人と言われた全国民の内、ポル・ポト時代に170~200万人が、殺害されたり、病気、飢え、強制労働などにより命を落としたと言われている。全人口の実に20-25%の命を結果抹殺したのです。そして、ポル・ポトは特に知識人を選んで手に掛けました。スターリンや金日成が他国の国家機能を喪失させようと有能な人材を虐殺したのとは異なり、すでに自分の権力下にある自国民、自分と同じ民族を虐殺したのです。異常そのものです。その目的は、伝統的な文化を頭脳に蓄えている知識人を抹殺することによって、伝統的文化を破壊しようとしたもの、そうする事により原始共産主義の実現を目指し、その為に手段を選ばなかったのである。

・トゥールスレン刑務所博物館
  反革命分子と見なされた人々が
  捕らえられ、拷問を受け、虐殺された場所
  決して忘れてはいけないとの、想い願いからだろう
  忠実に保存されていた。
トゥ-スレン-750

・キリングフィールド
  プノンペンの南西約15kmにあった処刑場
  処刑後の遺体は掘られた穴の中に放り込まれた
  その穴がそのままいくつも残っていました
  土の中に眠る遺骨もまだ多いそうですが
  慰霊塔には約9000体の頭蓋骨(遺骨)が納められていた。
キリングフィールド-500

わずか30年前、このようなことがこの地球上で行われていたのです。ベトナム戦争とポル・ポト政権発足は切り離せない部分もある様ですが、間違いなく言えるのは結果として時の権力者の思想とその手法が、恐ろしい結果を生んだのです。その残忍さに、目を覆いたくなる所・場面多々ありましたが、人類の歩んだ歴史事実としてきちんと見ておかなければいけないと思い、がんばって、見ました。見学中、気分が悪くなった霊感の強い同行者もおられました。


マーケットに買出しに出かけました
医薬品や衣料は日本から運び入れてますので
今回訪れる、私設託児所と孤児院のこども達へのお菓子の買出しです。
今回初めて人込みへ分け入ったのですが
市場に物はあふれていました。その圧倒的な量には、少し驚きました。
そして、現地の人々の習慣、心理状況が読めない世界なので
マーケットではとてもカメラ向ける勇気がありません。なので、往来の様子
基本右側通行。バイク、車、自転車、歩行者が行きます
最もポピュラーな乗り物はバイクです。原付~125ccが主流
2人乗り3人乗りは常識。4人5人乗ってるのも見ました。
信号は少なく、思い思いに進みます。ほとんどストップすることがありません
こちらが「一旦止まる」ということは、相手の「自分の動態予測を狂わせること」
とうとうと流れる大動脈も、斜めに静かに渡り始めれば、ちゃ~んと向うが減速してくれるのです。
往来①
往来②
往来③


この日見学した刑務所跡と処刑場跡はとても刺激が強く、脳裏から離れず
怖くて怖くて・・・この夜は、同行の広島のWさん沖縄のAさんの3人で一杯飲り、眠りにつきました。
 ↑ツイン仕様の部屋を今回気を利かせていただき個室使用(オラふたりのほが良かったのに)
   なので静寂音の中すみっこから誰かにじっと見られてるよな
   そんな恐怖に包まれた。あーちびりそ~ はよ朝こんかなぁーって。



はるばあちゃんが亡くなった

はるばあちゃんが亡くなった
はるばあちゃんとは家内の母親の母親
御歳満100歳、大往生でした
最後は自宅で眠る様に静かに静かに逝ったとのことでした

私がカンボジアから関空に着いた頃息を引きとりました
おくるのに間に合って良かった、待っててくれたのかな
今日3/2(月)午後から葬儀、私は受付と香典数え係りを担当

家内の母親は6人姉妹(彼女は5番目) みな健在
面倒見てた6女の紀美ちゃんちでの夕食会
にぎやかでにぎやかで、これ葬式の後?って感じ
今は富山と東京に別れて暮らす姉妹
それぞれ超マイペースで全くまとまりがないのが特徴なのだが
この姉妹を見ていると、妙になぜだか元気になるのです(・・ふしぎ)
はるばあちゃん、この娘ら6人育てるの 大変だっただろうなぁ~



カンボジアレポ-1
 
  インチョン空港-430
                                     ソウル インチョン国際空港

JIRAC(日本国際救援行動委員会)第23次カンボジア救援活動に参加し、帰国しました。
JIRAC・ジラクとは、ボランティア団体のひとつですが、単にお金を支援するに止まらず、自らが現地に赴き支援することを掲げ大切にする組織。設立者は富山に縁のある佐々成政が祖先と自ら言われ、警察官僚時代、72年浅間山荘事件、73年金大中事件そして70年代の一連の日航機ハイジャック事件処理の指揮を取った佐々敦行氏その人である。歯に物着せぬ発言には賛否があろうが、「危機管理」ということばを創った、世紀末良くマスコミに登場された人である。今回は彼の横で事務を執る側近中の側近の方が参加されていた。 
参考 佐々事務所HP
 
さて、話は戻り、初日は黒部から列車2度乗り継ぎ関空へ。関空集合メンバー顔合わせの後フライト
ソウルトランジットにて現地入り。私の場合は家を出て20時間かけてのカンボジア到着となりました。

プノンペン空港に降り立つと、気温の高さと共にすぐに海外の香りにおいが出向かえてくれた。それはことばにするとこうだとかor頭で論理的に理解するという種類のものではなく、降り立ったその瞬間に感覚五感が即座に異国を感じとってくれるものなのだ。「アジアのにおい」・・・久しぶりに嗅いだ。3年前のネパールカトマンズとはちょっと違うが、体の深い所に仕舞ってあったものが蘇ってきて好き嫌いともあれ懐かしく思った。そして今カンボジアは夏。雨季に入る直前の4月が最も暑いらしいものの、ここの所取り分け暑い日が続いており、最高気温は35℃を超える。出立前日はスキーをしていたのに、今は「クーラー大のお友達世界」に自分がいることをとても不思議に思った。

荷を運ぶ道具として山屋としてはやはり「ザック」が一番。いつものスタイルがいい。何よりも心の安定も得られ落ち着いて良いのである。今回プノンペン市内のホテルを基点としての活動だったので、準備の時点からさほどの荷にはならなかったのですが、ゆったり70㍑タイプを使用。サブザックも忘れなかった。しかしポーターに大きな荷を預け高地山岳帯を行くネパール山の旅と違い、人込みの中でパスポートや現金の管理を要求されるというシーンの多い今回、サブザックより、大きめのウェストポーチが理に適っていたと少し反省。餅は餅屋、何度も参加されてる先輩方は心得ておられた。

では、おいおいと今回の様子報告です。


プノンペン国際空港に到着
現地時間 2/23(月)22:50 (時差 -2時間)
プンンペン空港-750

救援物資 ・・・ 医薬品や衣料などが入っています
救援物資-750

持ち込んだ物資をトラックに積み込みます
物資積込-750

では、基地となるホテルへ向かいましょう
宿へ-750


宿に入りクーラーつけ一息入れる
そして初めて訪れた国カンボジアのストリートを部屋の窓から見る
暑い国だからであろうか、午前0時を過ぎているにも係わらず、多くの人が行き交っていた

救援活動メンバーとして日本からやってきた僕から、今この国は見えるが
僕の日本という国、ストリートの現地の人々の多くは、一生見ることがないのではないだろうか・・・
初日の夜、そんなこと思いながら、静かに頭を柔らかな枕に沈めた。